うつ病と向き合うこと

うつ病や生活と向き合う日常や考えについて書いていきます。

29.母との時間

   

私が境界性パーソナリティー障害の傾向になったと考えられるのは以下だと思う。

まずは夏に実家に帰ったときに母が私の発作に気づいてくれなかったこと。
それによって私は「助けてほしいときに手を差し伸べてくれなかった」
それがトラウマとして発生したんだと思う。

そして何よりも「仕事」という没頭していた生活から時間にぽっかりと穴が開き
「必要とされなくなった」ことなんだと思う。

だから母といることを避けてきた。
もちろん連絡もとらない。
その代わりに父が間に入り連絡やランチなど話をしてくれる。

実は11月の診察から調子がよかった。
精神的にも安定していたし仕事もなんだかんだ軌道に乗っていた。

時々母から電話があった。
私自身母を苦しめていることは十分承知だ。

そんな時期両親が離婚しかけた。
私の考え方は父親に似ているの。
母親と兄は似ている。

正直私のせいでもあると思った。
でも父の様子が変だったので母に電話をしてみたら
案の定離婚の話になったという。
その話も解決して今まで以上に夫婦として仲良くやっているらしい。

そんな母と会ってみようと連絡を取った。
会って話をすると少し不安だったから
楽しく時間を共有しようと思い、カラオケにいくことにした。
家の掃除も少し手伝ってもらい、ランチをして目的のカラオケに。

カラオケではフリータイムで4時間半うたった。
同じアーティストのものを何回か母と懸命に歌ったりして
楽しい時間を過ごした。

そのあとはいきつけのBarへ母と2人で行き軽くお酒を交わした。

正直楽しかった。

そう思えた。

だからこそ思い出が蘇ってしまったんだ…。

翌日体温が高く感じ、あまり体調がよくないなと思っていたけれど
いつものように執筆をしていた。
そしていつものように本を読んで昼寝をした。
その瞬間頭の中をひとつひとつ前日の思い出のページをめくるように
記憶が私の脳の奥へと焼き付けられていった。

「なぜ昨日はあんなに楽しい時間を共有できたのに。」
「なぜ過去には同じことが出来なかったのか」
「過去に同じことをしてえいれば今私は病気ではいないのに」

「楽しい時間」が過去への苦しみへと比較され、涙がとまらなくなっていた。

だんだんと呼吸が苦しくなり、いつもの発作よりも細かく深い呼吸に変わっていった。

「いつもとは違う」そんな発作だった。
鳴りやまない耳鳴り。そして身体の奥からどんどんと早くなっていく呼吸。
身の危険を感じた。

もう自分では救急車は呼べないと思い父に電話をした。
父は千葉で仕事をしており母に連絡をし、救急要請をしてもらった。

近くの病院へ搬送された私は点滴を打ち、経過を見る形となった。
そして両親がかけつけた。

過去は変えられない。
今を生きるしかない。
未来を築いていくしかない。

なのにどうしても過去が頭の中に焼き付いて離れない。

私は母とどうしたらいいのだろう。

 - そーちゃんさんの記事