うつ病と向き合うこと

うつ病や生活と向き合う日常や考えについて書いていきます。

9.私の不安はSOS

   

私はうつ病の中でも「不安」になることがあると医者にいわれた。

確かに私は完璧主義者の人間でありたいとおもうことがある。

それは現在の生活や仕事だけではなく「完璧」でないと
見てもらえないと幼いころから感じていたからだ。

私は両親、兄との4人家族である。
兄は幼いころから野球をしており、
さらに、父が役員をしていたので両親もつきっきりだ。
兄より幼い私はもちろん連れてかれることが多い。
だけど両親の目は兄につきっきりだった。
よくあるのが、母は兄、父は娘と仲良くなりやすい。
年子だった兄とは喧嘩をよくしたし、
父が仕事でいないことが多かったので家では母と兄の空間
ができることが多かった。

そんな時、父が単身赴任で大阪に行くことになった。
初めて家族がバラバラになることよりも
私は唯一の味方がこの家から去ってしまうということで
頭がいっぱいだった。
だから夏休みはほとんど大阪の家にいた。

東京の家では兄に殴られても母は私の味方なんて
ひとつもしなかった。
虐待まではいかないけど母にはよく殴られた。

兄は頭もいいわけではなく足も特別速くない。
友達よりもゲームをする方が好きなタイプだ。

なのになぜ兄ばっかりと。
どうして私はこんなに見てもらえないんだろう。
小学生ながらに私は部屋で声を殺して泣いたり、
首をつったりもした。
家には母と兄と私しかいない中で
部屋に閉じこもるしかなかった。

私は勉強も運動も得意だ。
通信教育を兄も一緒に受けいたが
学校の成績も勝っていた。

中学に入り完全に私と兄は対照的な性格だとわかった。
私は兄と対照的なヤンキーな先輩(兄の友達)に
声をかけられることも多かった。
成績もそれなりにとっていた。
互いにぶつかったのが部活動だった。
私たちはスポーツの種目は違えど好成績を残していた。

でも確信した。
どんなに頑張っても褒めてもらえない。
見てもらえない。
そして学校の先生にいじめの罪を勝手に決めつけられて
私は頻繁に過呼吸がおこるようになった。

受験期にはついに今までの不満を母に伝えた。
幼いころからのことを。
正直殺してやるとも思ったことも。

そこからはひとつ母との距離が縮まった。

でもわたしが今こうなっているのはその育った時に感じたことが原因だったのだと。

だから「完璧」であるべきだと思った。

特に現在の職場の役職だと上の人間ももちろんだが、
下の人間にも指導をしなければならない。
であるとなにか問題が発生した場合には私の責任になる。
まぁ、それが「責任者」という立ち位置であるのだから。

人を指導したり、例えばレッスンをしたり、
人の前に立つときは私もプロであるし度胸もある。
だから不安要素なんて誰にも見せなかった。

気づいたら泣ける場所がなくなっていた。
相談することもなかった。

いつからか楽しかった仕事が、
伝えたかったことをするに連れて自分を苦しめることになっていた。
そして笑顔が「作り笑い」へと変わっていったのだった。

私のSOSは身体でサインをするまで気づいていない
フリをしていた。

 - そーちゃんさんの記事